和歌山市の友ヶ島には江戸時代に瀬戸内海で大暴れした海賊
「つむじ風剛右衛門(つむじかぜごうえもん)」
が隠したお宝が今も眠っているという伝説がある。
この剛右衛門と言う人物の本職は廻船問屋。
港において商船を相手に積荷の売買をはじめ集荷作業、船主と運送取次など様々な業務を行う者のこと。
しかしそれは剛右衛門の仮の姿であり、裏では数百人を束ねたと言われる海賊の頭目だ。
通り名の「つむじ風」は、彼が海が荒れた日に海賊稼業に勤しんだことからついたあだ名。
なぜ自らの身にも危険が及ぶ荒れた海で海賊活動をしたのか?
廻船問屋と言う表の顔を持つ剛右衛門にとって海賊であることがバレるのは何としても避けたいこと。
普段瀬戸内海は対岸まで目視できるほど狭い海域なので、晴れた見通しの良い日に海賊活動をしてはすぐにお縄になってしまう。
襲撃するなら見通しのよくない荒れた日に限るのだ。
当時の瀬戸内海は日本国内の物流の大動脈、諸藩の商船が行き来していた。
しかし、徳川幕府から余計な嫌疑がかかるのを恐れ、諸藩は重要な藩御用達の商品を運ぶ商船であっても軍艦で護衛することは出来なかった。
海賊にとってはこれ以上ない良いカモだったわけだ。

さて「宝の島」の話だが・・・・
剛右衛門は略奪した品物の処分にはことのほか気を配った。
彼は略奪した商品を大阪の町で売りさばき利益を得ていたが、主に家紋がついてないなど足がつきそうにない品物だけを捌き、その他はどこかに隠していたようだ。
流通させる商品の選択も厳選したので必然的に隠す商品の方が多くなり現代の金額に換算すると数百億とも数千億ともいわれる。
そのお宝の山を隠した島が現在和歌山市の友ヶ島と言われているのだ。
剛右衛門はある嵐の日に略奪に向かったが遭難し子分ともども溺死したと言われており、宝をどこに隠していたのかは誰にも伝えることなくこの世を去った。
この島は明治時代以降、第二次世界大戦が終わるまで軍の重要拠点として一般人の立ち入りは出来なかった。
「つむじ風剛右衛門の隠し財宝伝説」
噂は昔からあったようだが大がかりな探索がなされることはなく、もちろん現在も未だ見つかっていない。
「友ヶ島」というと一つの島のように思うが実はそうではなく、4つの無人島群。
宝が4つのどこにあるのかも解っていない。
なおこの友ヶ島の砲台跡などレンガ造りの廃墟が宮崎駿の
「天空の城ラピュタ」
の世界観に趣が似ているということで話題になり、今ではコスプレファン等もよく訪れるらしい。

彼らはこの宝島伝説は知ってるのだろうか?
お宝は未だ見つかっていない・・・・・・