ヨーロッパ諸国の十字軍以降も続く強大なイスラム勢力との戦いは一時的に優位に立つ事はあっても、完全な勝利を得るには及びませんでした。

そのためヨーロッパ諸国は不毛なイスラムとの戦いより西ヨーロッパ内での優劣に重きを置くようになっていきます。

しかし、そんな中でイベリア半島の3王国(ポルトガル・アラゴン・カスティリャ)だけは他のヨーロッパの国々とは違い、お互いをライバル視しつつもイスラムと戦う気概では一致していました。

この3国はいずれもレコンキスタ(国土回復運動)によって国を築き、イベリア半島のイスラム勢力と戦いつつ領土を拡大していった経緯をもっています。

イスラム勢力もイベリア半島の南グラナダを拠点にナルス朝を築き激しく抵抗しており、3王国にとってイスラムとの戦いは十字軍のような過去の事などではなく現在進行形だったのです。

大航海時代を最初にけん引したのがポルトガルだった事の理由として

イベリア半島の地形が大西洋に漕ぎだす為に良い条件だったという事もありますが、このようにイスラムとの厳しい戦いの中に常に身を置かざるを得なかった現実もあったのかもしれません。

 

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イベリア半島

同じイベリア半島と言っても3国には大航海事業に乗り出す条件で大きな違いがありました。

アラゴンは地形上どうしても地中海貿易に目が向きますし、カスティリャは大西洋にも地中海にも接してはいますが前述のナルス朝と国境を接している事もあって海洋開拓まで手が回らない状態。

ひとりポルトガルだけが地理的にも時代背景的にも大西洋航海に乗り出す条件を兼ね備えていました。

そんなポルトガルにエンリケという海洋事業に対して極めて前向きな指導者が登場します

<エンリケ航海王子>

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エンリケ航海王子

1415年8月15日、ポルトガルはジブラルタル海峡を挟んだアフリカ大陸北のイスラム都市セウタを攻撃し陥落させました。

攻撃の動機には諸説ありますが、いずれにせよこの攻撃によってポルトガルの王子だったエンリケは3つの重大な情報を手に入れます。

1.長期航海の可能性

遠征準備中にエンリケは経験豊富な船乗りたちと数多く接する事ができ、食糧さえしっかり準備すれば長期の航海にも耐えられる事がわかった。

2.海軍の重要性

イスラム勢力に対し陸戦で歯が立たなくても海戦なら勝てる可能性がある事を実感した。

3.アフリカの地理情報

ヨーロッパ人がまだ未踏の地であるアフリカの西海岸沿いにイスラム勢力が到達している事実。及びセウタの商人達からのアフリカ地理情報を仕入れた。

この3つの情報はイスラム打倒に燃えるエンリケ王子に大いなる野望を抱かせることになります。

「イスラム勢力を背後から攻める!」という壮大な構想でした

 

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エンリケ航海王子

ヨーロッパ諸国とイスラム国家の軍事力の差は歴然としており、まともにぶつかってヨーロッパに勝てる可能性などありません。

しかし、船による長期航海が可能とわかった以上話は変わってきます。

エンリケの構想は、船でアフリカ西海岸を進み拠点を築き、奥地のイスラム国家を攻略し、背後からイスラム勢力を攻撃すると言うものでした。

イスラム打倒の可能性に関してエンリケにはもう一つの希望がありました。

前述したプレスタージョンの存在です

このプレスタージョンの所在を突き止め、軍事同盟を締結する事がエンリケ最大の目標でした。

ポルトガルのセウタ攻略は単にキリスト教VSイスラム教という争いのみならず、結果的にエンリケを通して後のヨーロッパ社会を大きく変貌させるきっかけとなります。

<世界の果て?ボジャドール岬>

 

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ボジャドール岬

エンリケが航海事業に乗り出した当時、船乗りの間で異常なまでに恐れられているボジャドールという名の岬がありました。

カナリア諸島から約240㎞南にある岬で、これを越えて南に行ったという記録は無く、つまり当時のヨーロッパの船乗りにとっては世界の境界線がボジャドール岬だったのです。

「ボジャドール南の海はグツグツ煮えたぎって湯気が出ている」

「信じられない急流に流され海の底に引き込まれる」

また様々な怪物たちの恐ろしい伝説も船乗りたちを足止めし、誰もボジャドール岬を越えようとする者はいませんでした。

 

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↑世界の果てはこんなイメージだったのかも?

「ボジャドール岬を越えたら生きて帰って来るものはいない」と語り継がれてきたのです。

しかしセウタ攻略のときにアフリカの地理情報を仕入れ、また自らも地理学や天文学を学んだエンリケはこれら(ボジャドール南の伝説)は「単なる迷信」であろうことを確信していました。

エンリケは船乗りたちに対して「何の根拠も無いくだらない伝説を信じるな!」と叱咤しますが、当時の船乗り達にはどうしてもボジャドール岬は越えられません。

中にはエンリケの命令を無視して地中海に引き返し、わざわざイスラムとの戦いに身を投じる者もいたようです。

つまり彼ら船乗りにとってはボジャドール岬の伝説はイスラムとの戦いより怖かったのです。

1433年エンリケは従士のジル・エアネスを探検航海の指揮官に抜擢し探検航海を命じます。

しかしエアネスも最初の航海では「これ以上の南下は危険です!」と言うベテラン船乗りたちに言いくるめられカナリア諸島で引き返して来ますが、帰国後エンリケに叱責され、また自らの臆病さを恥じて、翌年もう一度探検航海に挑戦します。

「もし任務を果たせなかったら二度とエンリケ王子の前に現れることなない!」という決意でのぞんだ航海で、エアネスは勇気を振り絞り任務を達成します。

ボジャドール岬の南には「煮えたぎる海」もなければ「地の底に引き込まれるような急流」もなく、普通の海が延々と続いています。

エアネスは岬を越えると上陸してエンリケに見せる為にバラや緑の草を採取しました。

ボジャドール岬の南はけっして特別な場所などではなく、普通の世界が広がっていたのです。

エンリケはこの報告に狂喜しエアネスは勇気の報酬として騎士に叙任されました

エアネスの航海はボジャドール岬をただ通過しただけで、実際には何の成果もあげてはいません。

しかしこの航海は恐怖を克服し当時の船乗り達の常識を覆すまさしく「大航海」だったのです。

この後「自分はもっと南に行ける!」という申し出が続出し、ポルトガルの海洋事業は本格的に軌道に乗り始めるのでした。