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プレスタージョン想像図

マルコポーロ東方見聞録と同じように、プレスタージョン伝説もヨーロッパの人々を大航海時代へと誘った要因となりました。

そのプレスタージョン伝説とは一体何なのか? お話ししたいと思います。

ヨーロッパの人々は東方に自分たちと同じキリスト教徒による強大な国家が存在すると信じていました。

彼らが本気で信じていたプレスタージョンのイメージはおおむねこんな感じです

プレスタージョンの帝国は強大無比であり広大な領土を有する富貴な国家である。河には蜜が流れエメラルドやサファイヤなどの宝石は無尽蔵、出撃の際には精強な軍隊の先頭に14本の黄金の十字架が並ぶ荘厳さである

なぜこのようなおとぎ話のような伝説が本気で信じられていたのかは十字軍の遠征時代に話が戻ります。

イスラムの強大な戦力の前に各地で苦戦が続いた十字軍でしたが、時折信じられないような勝利報告がもたらされることがありました。

プレスタージョンという名前が初めて登場するのは1145年です。

ローマ教皇エウゲニオス3世の元にエデッサ(エルサレムに設立された十字軍諸国のひとつ)陥落を知らせに来た使者が信じられない報告をします。

「ペルシャの遥か東方からプレスタージョンなるキリスト教君主が軍勢を率いて出現し、ペルシャを破りましたがチグリス川は渡らず東方に引き返しました」

ローマ教皇エウゲニオス3世をはじめヨーロッパの人々はこの知らせに仰天すると同時に超強力な味方の出現に狂喜します。

もともと使徒トマスがインドでキリスト教の布教に従事していた事は知られていましたが、1122年にはジョンと称する者がローマ教皇に謁見し、トマスが起こした数々の奇跡を語っており、ヨーロッパの人々は皆「東方世界にもキリスト教は確実に根付いているはずだ」と思っていました。

そんなところに上のようなプレスタージョンと思われる精強な軍勢の具体的な戦闘報告があったものですから

「やはりイスラムを敵として共に戦ってくれるプレスタージョンは実在した!」と伝説が確信に変わります。

イスラムの圧政によって苦しんでいたヨーロッパの人々にとってプレスタージョンは希望の光だったのです。

1221年の第5回遠征ではこんな報告もありました。

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プレスタージョン記念碑(南アフリカ)

「東方からダヴィッドなるキリスト教君主が精強な軍勢を率いてペルシャに侵入いたしました。ペルシャの諸都市を軍事制圧しスルタンを破り、カリフ(イスラム最高指導者)のいるバクダット近郊まで軍勢を進めております。そのためアレッポに駐留していたイスラム軍はダヴィッド王との戦闘に備え軍勢を後退させました!このダヴィット王こそプレスタージョンに間違いありません!!」

報告を受けたローマ教皇のホノリウス3世はただちにヨーロッパ各地の大司教たちに報せました。

ヨーロッパの人々は歓喜につつまれます。

プレスタージョンはペルシャを制圧した後に、そのまま西にも軍を進めるに違いない。イスラム勢力を一掃するまたとないチャンスだ!と誰もが思いました。

十字軍の進撃にも拍車が掛かり、イスラムの本拠地カイロに迫ります。

エジプトのスルタン(イスラムの軍隊や財政など世俗的な分野の責任者)は十字軍の士気を恐れました。

よもや負けるとは思ってはいなかったにしろ相当の犠牲を強いられる戦いが予想され、何度も和平の提案をしますが十字軍側は耳を貸しません。

十字軍側は圧倒的な戦力差がある事は承知していましたが、強大無比なプレスタージョンの援護を信じており、カイロに対し無謀な攻撃を仕掛けます。

結果、プレスタージョンは現れず十字軍はカイロで大敗を喫し第五回遠征を終える事になります。

当時の人々が信じて疑わなかったプレスタージョンはいったい何者だったのでしょうか?

1145年の情報は西遼軍がセルジュークトルコ軍を破ってサマルカンド一帯を勢力下に置いた軍事行動であり、1221年のプレスタージョンの報告はモンゴル帝国軍が中央アジア諸都市を陥落させ、イランにまで侵攻しバクダットに迫った軍事行動です。

イスラムに抑圧され続けてきたヨーロッパの人々は、プレスタージョンの実在を信じるあまりに、こうした東方での大きな軍事衝突を全て「プレスタージョンがイスラムを駆逐しているのだ」と考えました。

自分達の仇敵イスラムと戦ってくれる東方の軍勢はヨーロッパの味方に違いなく、それはキリスト教君主国家以外にあり得ないと。

そのため、モンゴル帝国がヨーロッパにまで侵攻して来た時でさえ、モンゴル軍が東方から来てイスラムを蹴散らしていく姿を目の当たりにしたにもかかわらず、けっしてプレスタージョンと結び付ける事はありませんでした。

プレスタージョンはあくまでもヨーロッパの味方でなければならないのです。

東方の強大なモンゴル帝国の存在を知ってなおヨーロッパの人々はプレスタージョンの存在を疑いませんでした。

そんな中、アフリカにキリスト教君主国家が存在するという噂が流れて来ます。

実際にエチオピア皇帝はキリスト教徒でありエチオピアからの殉教者がエルサレムを訪問するという出来事もあって

15世紀ごろには「エチオピア皇帝=プレスタージョン」という説が決定的になります

 

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プレスタージョンの版図(エチオピア)

大航海時代の先陣を切ったポルトガルのエンリケ航海王子が積極的に航海事業に着手した大きな目的の一つは、アフリカ大陸のどこかにいるプレスタージョンと軍事同盟を締結し、イスラムを背後から攻略しようと言うプランの実現でした。

プレスタージョン伝説の存在も大航海時代の扉を開かせた要因の一つだったのです。