ヨーロッパでは紀元前の時代から「南方大陸」の存在が信じられてきました。

人々は誰も見た事が無いはずの未知の大陸をなぜ実在すると思っていたのでしょう?

答えは非常にシンプルで

「北方にこれだけの大陸があるのだから南方にも同程度の大陸があるはずだ」

という根拠など何もない漠然とした思い込みでした。

下の世界地図は1627年のケプラーによる世界地図です(クリックで拡大)

地図の一番下(南方)に大陸が描かれていますがこれは南極大陸の事ではありません。

「Terra Australis(テラオーストラリアス=ラテン語で南方大陸の意)」の文字が見えるとおり

伝説の「南方大陸」が描かれているのです。

 

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ケプラーによる世界地図

この地図はマゼラン艦隊が世界一周を果たした1522年から100年以上経った後の時代に描かれたものですが

それでもまだ地球の全貌解明に至ってはいません。

依然として「金銀にあふれた南方大陸」という幻想と言うか願望がヨーロッパの人々の中に蔓延っていました。

さすがに大航海時代も円熟期を迎える18世紀ともなると実際に太平洋を調査航海した様々な探検家たちによって「南方大陸」の存在そのものを疑問視する声が挙がりはじめます。

しかし、それでも実在を疑わない学者連中も多く、いたるところで論争が起きていました。

世界一周にも成功した探検家ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル(当サイトジャンヌ・バレの項に登場します)は旧態然とした学者たちに対して次のように皮肉っています

「地理学とは事実に基づいた科学でなければならない。それは自分の過ちは自分の命で償うほどの冒険を経たうえで導き出した事実でなくてはならず、けっして書斎で考え出された学説を認めるべきではない」

ブーガンヴィルのこの言葉を借りるまでも無く、もはやこの時代の地理学は空想の上に成り立つ学問ではなくなり探索によって実証された事柄のみ認められる科学の時代に入っていました。

様々な航海技術の向上が顕著だったこの時代、特に測量技術は1763年クロノメーター(経度が測定できる器械)の発明によって飛躍的な発展を遂げ、海上において緯度による大雑把な位置しか掴めなかったところが、緯度と経度が交わる点まで測定できるようになったので、それまでとは比べ物にならないほど詳細な位置情報を知ることができるようになったのです。

そんな中登場するのがイギリスのジェームズ・クックです

クックは自らの航海の経験から南方大陸の存在に疑念を持っていましたが、イギリス国内ではまだその存在を信じる人は多く、国王も「実在するのか?しないのか?」その正確な回答を強く求めました。

そのためイギリス政府はクックを総司令官として「南方大陸探索船」を派遣します。

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ロンドン(グリニッジ)のクック像

この航海でクックは3度南極大陸に接近し、氷の海や氷山に阻まれ航行不能な箇所まで踏み込んで行きましたが、南極大陸には到達していません。

南極大陸に到達するのはそれから100年後のジェームズ・クラーク・ロス卿ですが、そのような地理上の発見を待つまでもなく「人が住める大陸は存在しない」という事実がクックの探索によってはっきりしました。

これによってヨーロッパの人々が永い間想い描いていた「黄金溢れる南方大陸」という幻想は打ち砕かれたのです。

クックは当時の船乗り達の天敵で長期航海時に多数の死者を出した壊血病に対して、徹底した食事管理によるビタミンCの補給を行う事で病気の予防に成功しています(当サイトジェームズ・クックの項にて)

これによって長期航海での安全性はグッと増し、それまでのような「一か八かの冒険」ではなくなりました。

航海が調査目的の科学的航海へと発展していった事は

同時に「大航海時代」と呼ぶにふさわしい夢とロマンに満ち溢れた冒険や探検に終わりをつげた事を意味します。

ポルトガルのエンリケ航海王子が海洋事業に着手してから350年、様々な人々が歴史を積み重ねバトンタッチを繰り返し、アンカーのジェームズ・クックの登場により大航海時代は幕を降ろす事になったのです。