エドワードティーチは本名では無くタッシュ、サッチなど名前を12回変えている

出身は英国のブリストルとされているが、これは1724年に発表された「英国海賊史」

(チャールズ・ジョンソン)に書かれており、黒ひげ伝説のほとんどはこの書物が基になっている。

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映画「パイレーツオブカリビアン」の黒髭ティーチ

カリブ海の海賊の中でも最も恐れられた彼はまさに「ザ・海賊」といえる存在で

現代の人々が海賊に対して持っているイメージの多くは彼の伝説から来ているのかもしれない。

「悪魔の落とし子」の異名を持ち、その名を聞いた誰もが震えあがるほどの大悪党だったティーチは周囲を圧倒するほどの大男で、戦いの際は短剣や銃を体中に仕込み、顔中を覆ったトレードマークの黒髭には硫黄を染みこませた大麻を結い込み、そこに火を灯していた。

前述のチャールズ・ジョンソンは著書の英国海賊史で

「どんなに想像力を働かせても、あれより恐ろしい地獄の怒りの姿を思い浮かべる事は出来ない」

と書いている。

ティーチは1710年頃、船乗りの活動を始めるが、私掠船の甲板員としてジャマイカに渡ったとき、そこで海賊ベンジャミン・ホニゴールドの子分となって海賊となる。

そして、みるみるうちに頭角を現し手当たり次第に獲物を襲っていった。

あるとき、巨大なフランスのラ・コンコルドという奴隷船の拿捕に成功したが、その船には奴隷のみならず金銀宝石がうなるほど船倉から出てきたのでティーチのボス、ホニゴールドは大いに喜び、この船を褒美としてティーチに与えた。

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ティーチの主力船「クィーンアンズリベンジ号」

ラ・コンコルドは40門の大砲を積んだ強力な船だった。

ティーチは、この船を「クイーン・アンズ・リベンジ(Queen Anne’s Revenge)(アン女王の復讐)」と名づけ、

カリブ海沿岸や西インド諸島の航路や集落を荒らしまわり極悪非道の海賊としてその名をとどろかせる事になる。

彼は航行中の商船を襲い、商品はもちろん、食べ物、酒、武器などを奪い、抵抗しなければそのまま行かせてやったが、もし抵抗した場合には乗員は皆殺しにした。

彼の極悪非道さは獲物だけでなく部下にまで向けられた。

ある日2人の部下とテーブルを囲んで酒を飲んでいたとき突然ピストルを引き抜き安全装置を外し始めたので、黒髭の性格をよく知るひとりは危険を察し甲板に逃げ出したが、もう一人は特に気にもとめずそのまま酒を飲み続けていた。

すると黒髭はテーブルの下で引き金を引き、その部下の膝を撃ち抜き大声で叫んだと言う

「ときどきこうでもしてやらなきゃ、俺が誰なのか忘れちまうだろう」

もう無茶苦茶である・・・。

また「地獄とはどの様な所なのか?再現してみよう」と言いだし2人の部下と共に船倉に籠り硫黄の壺に火をつけ、硫黄の煙が充満する中、2人の部下が助けを乞うと「俺がいちばん地獄に耐えた」と言って他の部下達に自慢するという実に子供っぽいエピソードも残っている。

黒髭は極悪非道ではあったが「陰湿で残忍」な印象はあまり受けない、滅茶苦茶ではあるがどことなくユーモラスでもある。

他の海賊の中には捕虜の耳を引きちぎったり、鼻を削ぎ落したり、あげくそれを本人に食わせる・・・などと言う快楽殺人狂かと思えるほどの残忍な海賊も存在するが、黒髭からはそういった狂気は感じない。

1718年の春、黒ひげは4隻の海賊船を率いて北に向かい現在のサウスカロライナ州チャールストンという街を襲い

わずか1週間でチャールストン港の海上封鎖に成功し、出入りする9隻の船を捕らえ、1500ポンド(現在の価値で約4000万円)を掠奪した。

乗員や客達も捕虜としたが、その中には、州知事直属の諮問委員も含まれており、黒髭はその気になれば街を自由にできたはずだが、人質との交換条件として知事に要求したのは、医薬品だけだった。

確かに当時医薬品は船では貴重だっただろうが、彼が手に入れることが可能だった報酬はそんなレベルではなかったはず・・・

この頃の彼は富が欲しかったわけでは無く、自らの力を誇示したかったのだろう。

何にせよこの事件以降、黒髭は単なるいち海賊ではなく世界中の注目を集める大悪党として世間に認知されるようになり、もはや国家レベルとしても放置できない存在となっていく・・・

特にバージニア州知事のスポッツウッドはこのような凶悪な海賊が身近でのうのうと暮らすのを絶対に許せず、とうとうロバート・メイナード中尉に黒髭討伐を命じた。

イギリスの軍艦パール艦長ロバート・メイナードは 1718年11月21日ノースカロライナのオクラコーク湾で黒髭を発見し襲撃。

だが黒髭は強かった。

軍艦のうち一隻の船長を殺し62人いた水兵のほとんどを負傷させた。

討伐軍は圧倒的に不利な状況だったが、残った水兵を軍艦の甲板の下に潜ませ、黒髭が勢いづいてメイナードの船に乗り込んできたところで一気に甲板に躍り出て迎え撃つ「待ち伏せ作戦」が上手くいった。

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海賊ティーチVS将校メイナード

そしてメイナードの放った弾丸が黒髭の胸に命中し、メイナードはじめ部下達も一気に黒髭に襲い掛かった。

それでも黒髭はなかなか倒れず、メイナードの剣をへし折るなど超人的な抵抗を見せた。

力尽きて甲板に崩れ落ちた黒髭は5発の銃弾と20カ所以上の刀傷を受けていたという。

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船首に吊るされたティーチの首

メイナードは黒ひげの首を切り落とし船首に吊したが、胴体は海に投げ捨てた。

このとき、海に投げ捨てられた首の無い胴体は生きることへの執念を失わず、船の周りを3週泳いだという伝説も残っている。

死してなお、周囲の人達から恐怖の対象だった黒髭らしい伝説だ。

こうしてカリブの海賊王は死んだが

今でもハンプトンでは「黒髭祭り」が毎年開催されるほど一般の人達にまで人気を博している。

実は地元にはこんな伝説もある。

1718年にチャールストンを襲った後、ビューフォート湾を荒らし回った黒髭一味のうち、およそ200人は逮捕されておらず、どこかに消えてしまったらしい。

そしてなぜか今でもビューフォート湾周辺地域の人々の方言だけは海賊の黄金時代に使われていたエリザベス朝の言葉にそっくりなのだそうだ。

この地に赴いたときは華美な服装で出歩かないほうが良い、彼らがいにしえの記憶を思い出してしまったら、身ぐるみ剥がされ孤島に置き去りにされてしまう・・・・かもよ?