大航海時代において欧州諸国が目覚ましい発展を遂げた裏で、人類は大きな負の遺産を背負うことになる。
「奴隷海岸」という忌まわしい呼び方をされるこの地域はかつて数千万人ともいわれる黒人達をまるで物を扱うかのように輸出していたトーゴ/ベナン/ナイジェリアの海岸線だ。

彼らは奴隷船に押し込められ過酷な環境の下で常に命の危険にさらされながらの航海を強要された。
奴隷海岸に集められると、まず背中や腕などに焼き印を押された。
当然、皮膚と肉が焼けるのだから、想像を絶する痛みを伴う熱さだが、奴隷商人たちは容赦なかった。
奴隷たちは船に乗せられるとさらに残酷な仕打ちが待っている。
それこそ「モノ」同様に扱われ、身動きもできない狭い船内に鎖で繋がれたまま押し込まれた。
100tクラスのガレオン船に400人を詰め込んだ記録もある。
100tと言えば約30メートルほどの長さの船だが、その長さの船に400人を詰め込んだのだ・・・
もちろん奴隷商人たちは自分たちのスペースは十分に確保してだから、実際はもっと狭い。
あきた新幹線E3系「こまち」が7両編成で定員約400名。
全員を1つの車両に押し込んだぐらいのスペースだと思えば想像しやすいかもしれない。

奴隷たちは重なり合って身を縮めた状態で20日近い船底での生活を余儀なくされる。
水分や食糧などまともに与えられず衛生面も最悪。
航海の間に飢餓や脱水で命を落とすものや伝染病で死ぬもの、自殺も少なくなかったという。
死んでしまった者は容赦なく海に投げ捨てられた。
正確には死んでいなくとも伝染病にかかった時点で海に突き落とされたようだ。
それは
「病気での死亡は保険がおりないが、航海中の事故で死んだ場合保険がおりる」
という人を人とも思わぬ狂気の保険契約が影響しており
こうして運ぶ奴隷のうち30%を海に突き落とし保険金を受け取った船もあるほどだ。
伝染病が発症しやすい状況を作っておきながら、実際に発症したら保険金を受け取りたいがためにサメのエサにしてしまうという、悪魔のような所業を奴隷商人たちは当たり前のようにやっていたのだ。
もちろん生き残った人たちは、現地に到着したらさらに地獄が待っており、過酷な強制労働を強いられ多くの人達が命を落とした。
アフリカの大地で普通に暮らしていた人たちを、いったい何千万人殺したのだろう?
ヨーロッパ人だけを悪く言うつもりはない
この奴隷を集めたのは、大半がほかならぬ黒人自身なのだ・・・
しかし、そそのかしたのは白人たち
奴隷商人たちは部族間の争いにつけ込み、他部族の黒人を買ったのだ。
好戦的なアフリカ現地民たちは先を争って他の部族を襲い奴隷となる黒人たちを次から次へとさらってきた。
買う方も買う方だが、売る方も売る方だ。
白人も黒人も、人間は自らの利益のためにこれほど残酷になれるものか・・・・・・
この暗黒の歴史が風化しないよう
人々は今でもこの海岸を「奴隷海岸」と呼んでいる。