海賊全盛時代のカリブ海で活躍した海賊

通称「ブラック・サム・ベラミー」

基本的に海賊は悪である。

どんな理由をつけようが他人の物を力ずくで奪う行為が善のはずがない。

ところが「階級社会による圧政」であったり「人種差別」であったり、現代では悪とされている事に対する抵抗を試みた義賊と呼べるような海賊も稀に存在する。

その最も象徴的な海賊がブラック・サム・ベラミーである。

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ブラック・サム・ベラミー

 

ベラミーは人情味にあふれると同時に情熱的な弁舌をふるうことでも知られ「雄弁家」と言われていた。

権力に対しては反骨精神にあふれ、彼の船では民主主義が徹底していたとも言われる。

彼の船には15人の黒人が乗組員として乗船していたが普段の待遇・分け前など何一つとっても白人と差別されるような事は無かった。

海賊社会に限らず、一般社会においても当時の常識では黒人は奴隷でしかなく「仲間」と考えるなどあり得ない時代の話だ。

人間社会の負の部分である人種差別を真っ先に否定したのが社会のはみ出し者「海賊」だった事はなんとも皮肉な話ではないか。

ただ、ベラミーが全ての場面で「善」であったかと言うとそうではない。

やはり海賊なので掠奪もするし奴隷売買もする。

わずか数年で数十隻という船を襲撃しており、海賊として大成功しているので当然その被害者も多く、悪名は各国に鳴り響いている。

ただ残虐であるとか極悪非道といった行為は記録に残っておらず、他の海賊のように無用な拷問も好まなかった。

逆に「品物はすべて奪ったが乗組員や乗客には一切手を出さなかった」という伝承が多い。

ベラミーが奴隷船「ウイーダ号」(後に自らの主船となる)を奪った際も、多くの海賊の場合、のっとった船の船長や乗組員は皆殺しと言うケースが多いが

ベラミーはウィーダ号だけを奪って乗組員達は自分の乗っていた船に乗せ無傷で返したとされる。

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ベラミーとウイーダ号(NHK地球ドラマチックより)

そのためブラック・サムは「海賊のプリンス」と呼ばれた。

ブラック・サム・ベラミーは海賊として大成功を収めたが、その絶頂期に“大西洋の墓場”といわれる米マサチューセッツ州ケープコッド沖で、まれに見る激しい嵐に襲われウイーダ号は沈没し、消息を絶った。

1984年米国大西洋岸の港町・ケープコッド沖でベラミーの船「ウイーダ号」と見られる残骸が発見された。

サルページされたウイーダ号の残骸からは金銀財宝をはじめ1000点を超える品物が発見され、現代の人々は海賊時代のロマンをあらためて掻き立てられたのだった。

そして、その中には史上最年少の海賊と言われる「ジョン・キングという少年のものと思われる小さな長靴がウイーダ号の残骸とともに見つかっている。