ローマ帝国にとって最大の脅威となった海賊にキリキア海賊と呼ばれる海賊達がいました。

現在のトルコ南岸に沿った入り江や湾を隠れ家にして1,000隻以上の船を擁していたと言われる海賊達の総称です。

彼らに襲われた沿岸の村や町は400を超えたと言われています。

かの有名なカエサル王(ジュリアス・シーザー)も若いころ地中海で海賊の捕虜になった経験を持っています。

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カエサル王

カエサルは紀元前78年、黒海南西岸の王であったニコメデスを訪ねる途中、前述のキリキア海賊に襲われ捕えられてしまったのです。

通常、男の捕虜は殺されるか奴隷にされるのですが、カエサルの身分が高いとみた海賊は彼の命と引き換えに高額な身代金をせしめる事にします。

当時の通貨単位で10タレントか20タレントは稼げるはずだと考えた海賊に対し

カエサルは「私の価値が50タレント以下なわけがない」と口にし海賊達を驚かせ、およそ6週間軟禁されている間に、彼らの行動や習慣を注意深く観察していました。

そして「お前たちを必ず十字架にかけてやる!」と宣言したのです。

海賊達はカエサルの宣言を気にも留めませんでした。

ちょっとした身分の小金持ちの若造が、ただ強がっているようにしか思えなかったのでしょう。

ところが、50タレントが実際に支払われ解放されるとカエサルは早速4隻の帆船と500人の兵士を率いて海賊の隠れ家を急襲し、酒盛り中だった350人の海賊を捕え宣言通り全員を処刑したのでした。

このように当時の地中海は油断していると王族でさえ襲われるほど危険な海でした

キリキア海賊が完全に一掃されたのはカエサル誘拐事件の約10年後、紀元前67年になってからの事です。

この年、ポンペイウスが海賊を根絶やしにするよう命じられ、総司令官の座に就き、軍艦500隻・歩兵10万・騎兵5千という大戦力で陸と海から一挙に海賊に襲いかかったのです。

当然、海賊達に勝ち目など無く全滅しますが、海賊は放っておいたらまた自然発生しますので、ローマ帝国は沿岸各地に基地を設けパトロールを続けました。

これにより小さな海賊は各地に出没するもののキリキア海賊のような大規模で組織だった海賊団は姿を消します。

地中海は以後1500年もの長い間、16世紀のバルバリア海賊達が暴れ出すまで、比較的安全であり続けることになります。