18世紀初頭フランスの国民的英雄と謳われた私掠船の船長だ。

当時の私掠船は国家にとっては海軍に準ずるものであり、そう言った意味では正規軍ではなくとも第一線での戦闘行動を任された「傭兵」に似ている。

ルネ・デュゲ=トルアンは私掠船船長としてフランスに対して莫大な利益をもたらした英雄である。

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ルネ・デュゲ=トルアン

彼は生涯で300隻以上の商船を襲ったといわれる。

彼の故郷でもあるサン・マロはこのような私掠活動によって富を得た町だった。

サン・マロにとって私掠活動は完全なビジネスであり、町の司教でさえ喜んで彼らに出資したのだ。

私掠船の船長として活動を開始した当初は、海賊船の襲撃からフランス船を守ると言う任務に就いていたが、デュゲ=トルアンはこの任務を着実にこなし、海軍での地位を上げていく。

1706年、中佐に任命された頃14隻の私掠軍艦の指揮を任されポルトガルの軍隊護送船団を襲撃し80隻の護衛艦のうち60隻と3隻の戦列艦を拿捕するという快挙を成し遂げ、たちまちフランス海軍の英雄になる。

それからは毎年のように歴史に残る大戦闘で勝利を重ねていき、欧州の船乗りで彼の名を知らぬ者は居なくなった。

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1707年10月の戦いが描かれた絵画

そして1711年トルアン最大の功績(フランスにとって)と言えるリオ・デ・ジャネイロの武力制圧があるが、その際、町を破壊しないと言う約束をし、そのかわり巨額な代償金を総督から引っ張り出す事に成功。

また数百人のフランス囚人を解放させたとも言われ、富を得ただけでなくフランス国民から心情的な部分でも尊敬を集める結果となった。

この航海に出資した投資家達は莫大な利益を上げる事に成功しルネ・デュゲ=トルアンはこの功績によって提督に昇進する。

その後も彼は順調に出世し続け1728年には中将に任命され、主に地中海東でフランス商戦の護衛にあたった。

このようにフランスでは国民的英雄であった彼も、襲われる側の周辺諸国から見れば悪質な海賊でしかなく、ましてフランスという国家から強力な援助を受けており戦力的な面からみても、並みの海賊より断然強力なだけにたちが悪い。

オランダの漁船は彼の事を「疫病神」と呼んで忌み嫌っていたし、襲われる事が多かったイングランド北東部でも彼の対応には苦慮していた。

実はイングランドはトルアンがまだそれほど名が売れてなかった1694年に彼を逮捕しプリマスの刑務所に収容した事もあるが、脱獄を許してしまった。

イングランドは後々、この若い脱獄囚によって歴史に残るほどの大損害をこうむる事になるとは思ってもみなかったことだろう。

そのとき彼はボートを自分で漕いでフランスまで逃げ帰ったという。

海賊の末路と言えば敵に殺されるか、捕まって縛り首か・・・

とにかく概ね悲惨な死に方をするケースが多いのだがルネ・デュゲ=トルアンは1736年に亡くなるまで、常に海軍のエリート将校であり続け、死ぬまで英雄としてフランス国民の尊敬を集め続けたのだった。

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ルネ・デュゲ=トルアンの肖像画