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イスタンブール海事博物館のレイス像

子供のころ給仕としてトルコ軍に入隊し、軍で船乗りとしての腕をみがき成長と共に海賊としての類稀なる才能をも開花させていく事になる。

後に借金をして船を手に入れると、部下を集め東地中海で海賊として大暴れ。

あっという間に周辺海域でレイスの名を知らぬものはいなくなった。



その活躍は地中海を震撼させる大海賊でもあり当時はアルジェ太守でもあった

(赤ひげ)バルバロッサ・ハイレディンの耳にも入っていた。


ある時レイスはハイレディンのもとを訪れる機会を得たが

その時ハイレディンはレイスの訪問を大いに喜び傘下に加わるよう誘った。

いきなり12隻ものガレー船の指揮権を与えるという超優遇スカウトだった。

(赤ひげ)ハイレディンの部下となったレイスはスペインからイタリアの間の海域でキリスト教国の船を襲いまくることになる。

それこそ「視界に入った船は必ず襲った」と言われるほど

相手構わず襲撃したのだ。

また海岸線の村や集落も襲い奴隷もたくさん集めてきた。

当時の地中海はガレー船という言わば「手漕ぎ船」が主流であり「漕ぎ手=奴隷」は船の動力源として

どれだけいても困らなかったので、奴隷は金銀と同等以上の価値があるとされていたのだ。

実はレイズ自身もキリスト教国に奴隷として囚われガレー船の漕ぎ手をしていたことがあるのだが

そのとき後にマルタ騎士団の大師となるジーン・パリゾ・デ・ラ・バーレットと次のような会話を交わしたと言われている。(会話の内容自体は推測)

バーレット:戦いとは残酷だな
そう声をかけてきたバーレットの顔を見たレイスは、その男がかつて赤ひげの奴隷であったことを思い出し

レイス:お互い様ですね

と返した。

現在マルタ共和国の首都「バレッタ」はこのバーレットの名を由来としている。

まだ後年の話ではあるがバーレットは一国の首都にその名を使われるほどの英雄となる男だ。

対してレイスもこの後ハイレディンによって身代金が支払われ奴隷生活を終えると

さっそく西部海賊ガレー船隊の総司令官に任命され、赤ひげハイレディンの副官となる。

そしてハイレディンの死後はその後継者としてバルバリア海賊を束ね地中海を震撼させ

バルバリア海賊の英雄となるのだ。

後にキリスト教・イスラム教それぞれの勢力で指導者となる2人がお互いに敵国の

奴隷としてガレー船の櫂を漕いでいたのは何とも不思議な巡り合わせだ。

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マルタ島包囲戦 オスマン帝国艦隊の集結、マッテオ・ペレズ・ダレッチョ画

地中海を震撼させたドラグトレイスは1565年

歴史上最も情け容赦ない、血塗られた戦いの一つと言われる「マルタ包囲戦」において

敵の砲弾を受けた際の耳の怪我が元で戦死してしまうが

 

その時のレイスの敵マルタ騎士団の指導者の一人が前述のジーン・パリゾ・デ・ラ・バーレットであったことに不思議な縁を感じる。

そしてこの戦いでのドラグトレイスの死を境に地中海におけるオスマン帝国の優位性が少しづつ

崩れていったのはまぎれもない事実だ。