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ヘンリー・モーガン

「海賊を裏切った海賊」などと言う芳しくない異名をもつ、カリブ海最大の海賊がヘンリーモーガンだ。

10代の前半モーガンは年季奉公の労働者としてカリブ海にやって来た。満期の5年が過ぎたのち彼はジャマイカで海賊船に乗り込み、やがて海賊船の船長として世界中に名をとどろかす事となる。

モーガンは常に相手の意表を突く奇襲戦術や思いもよらない奇抜な作戦を使う海賊だった。

ポルトペロ攻略の際などは捕虜にした修道女たちに梯子を背負わせて最前線に立たせ、砦に梯子を掛けさせた。

信仰深いスペインの軍人達は聖職者に対する攻撃を躊躇する事を見越しての「聖職者の盾」作戦だったが、スペイン軍はこれを無視して攻撃したので作戦は失敗だった。

そんな彼の最大の残虐行為はパナマ攻略だと言われる。

まずモーガンはチャグレス河口の砦(サン・ロレンソ要塞) を攻略するが、守備兵300人のうち9割をあっという間に殺すと、パナマの町になだれ込み町はいたるところで火の手を上げた。

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モーガンのサン・ロレンソ要塞攻撃

しかし、この時すでに町はもぬけのから、市民は避難しており人も宝もどこにも無い。

怒ったモーガンはパナマの町を手当たり次第に破壊していった。

当時のパナマは2つの教会と7つの修道院、2000を超える邸宅が建ち並ぶ裕福な町だったが、モーガン達によって完全に破壊しつくされ、以後町並みが甦る事は無く、現在は「旧パナマ市跡」として遺跡公園になっている。

海賊によってひとつの町が壊滅させられたこの事件は世界中に大きな衝撃を与えた。

くわえて、実はこの前年イギリスとスペインは和平条約(マドリード条約)を結んだばかりだったので、スペインからは猛抗議があって当たり前。

しかし、もともとイギリスの庶民にしてみれば憎い敵国スペインを爽快に蹴散らすモーガンを英雄視していたので、イギリス国王はこの事件の対応に苦慮することになる。

困ったイギリス国王はモーガンを罰することはせず、逆にナイトの称号を与え、ジャマイカの副総督に任命した。

スペインにしてみれば許せない対応・・・かと思いきや・・・

モーガンをジャマイカに封じ込めると同時に、イギリス・スペイン両国の船を海賊から守るため「大海賊モーガン」に付近を取り締まらせようという「毒をもって毒を制する」一石二鳥の策だった。

国の公職に就いたモーガンだったが裏では私掠免許状を発行してその礼金を貰っていたなどと言う悪い噂は絶えなかった。

いずれにせよ、これ以後イギリスとスペインはカリブ海の港を次々に閉鎖していく事になり、結果的にその幕引きの一助をモーガンが努めることになるとは皮肉な話である。