18世紀初頭マダガスカルに「リバタリア」と呼ばれる自由の国を建国したとされる伝説的海賊。
ファーストネームはバーソロミュー・オリビエ・ジェームズなど複数伝わっている。

ミッソンの正確な生没年は不詳だが17世紀後半か18世紀の前半フランスの南東部、地中海に面したプロヴァンス地方の貴族の家に生まれたと言われている。

フランス海軍大尉であったが、元来好奇心が強いミッソンは自由と平等を求めて冒険の旅に出る決意をし海賊の世界に身を投じることとなるのだが、
そのきっかけを作ったのはカラチオーリという若い思想家で
青年ミッソンがイタリアに留学していたときに出会ったカトリック修道会「ドミニコ会」の修道士だった。

カラチオーリという若い思想家は
「人間は本来自由で平等であり、それは人間として当然の権利だ」
というの話をミッソンに語った。

現代でこそ当たり前の理念だが、当時欧州の現実は強い物が弱い物を強制的に服従させ、奴隷にしてしまうことが当たり前の格差社会であり、カラチオーリが語る「絶対自由主義」などという考え方は、非常に珍しい突飛な思想だった。

ミッソンはこの理念に衝撃を受けるとともに大いに共感し、奴隷制度は勿論の事、資本主義的な搾取や国による区別など世の中のあらゆる差別を全て否定する「理想郷:リバタリア」を後に建設する下地がカラチオーリとの出会いによって作られた。

そのカラチオーリもバチカンの腐敗に悩んだ末にミッソンと行動を共にする道を選びリバタリア建国に力を尽くす事になる。

ミッソンはマダカスカル島北西のコモロ諸島あたりにアジトを築き仲間を集め始めた。

libertatia
リバタリアが建設されたとされる地域



仲間と言ってももちろん海賊達である。
ミッソンが集めた海賊の中にはトマス・テューのような当時かなり名前の売れていた海賊も含まれ、テューはリバタリアの国防大臣を務めていたとも言われている。

彼らはたびたび近辺を通る奴隷船を襲い、奴隷たちを解放し仲間として受け入れた。
そのため、彼の仲間の半数以上は黒人であり、白人もフランス・イギリス・ポルトガル・イタリア・オランダなど多彩だったが、ミッソンはそもそも「国籍」とか「人種」などというものも嫌っていたので、船員を区別する事なく「リベリ」と呼んでいた。

このリベリ達が住み着いた地が「リバタリア」である。

この共和国は全てが合議制で運営され、法律は代議士たちによって作られた。
封建社会で暮らしていた欧州の下層階級の人達や奴隷たちにとってはまさに理想郷だ。

現代の民主主義国家の先がけとさえ言えるリバタリアではあったが、自由を謳歌しお互いを尊重する社会を作りあげた半面、外社会に向けては海賊行為を繰り返す。
しかし彼らはそれを矛盾とはとらえず、彼らは自分たちの事を、そしてお互いを「海賊」と呼ばなかった。




しかし、この理想郷も思わぬ形で終焉を迎えることとなる。

マダガスカル先住民の襲撃によって全滅してしまったのだ。

もともと海賊である彼らは、各国の奴隷船を襲うなどの海賊活動をしていた事もあって、自分たちが多くの国から恨みを買っていた事を十分に理解していた。
他国の襲撃には警戒を怠らなかったのだが、まさか内陸部の先住民が襲ってくるなどとは想定外で、
主戦力であるミッソンやトマス・テューを含む海賊部隊が海に出ている隙を衝かれ、住民たちは皆殺しにされてしまったのだ。

海から帰還したミッソンはこの悲惨な光景を見てひどく落胆し、リバタリアを捨てて欧州に戻ろうとした航海の途中で船が遭難し命を落としたという。



さて、このミッソンに関する様々な伝承は歴史学者達の中ではフィクションではないか?と主張する人が多く、ミッソンという人物の存在すら怪しまれている。

しかし、当時の海賊社会においてリバタリア伝説が「あこがれ」として広まっていた事実が実際にありミッソンと接触したとされる著名な海賊もいる。
ウイリアム・キッドジョン・エイヴァリなどがその一例だ。

当時は海軍も含め一般の商船に乗る船乗りたちも一部の士官を除いて下層の水夫たちは船上で過酷な生活を強いられており、彼らにとってもリバタリアは憧れの夢の国であった。

社会全体がリバタリアのような理想郷を求めていた時代だったのだ。

ミッソン:リバタリアの実在は判らないが、多くの人々が理不尽な階級社会からの脱却を夢見ていたあの時代。
民主主義というものの可能性を信じたいという思い、リバタリアの存在を信じたいという人々の思いが
後のフランス革命やアメリカ合衆国の建国につながったのかもしれない。