世界の海賊史上、残虐という点に関しては最悪と言われる人物の一人がエドワード・ロウである。
ロウは「エドワード・ティーチ」や「ヘンリー・モーガン」のような戦いにおける壮絶な武勇伝があるわけではなく、
「フランシス・ドレイク」のような伝説に残るような輝かしい実績があるわけでもない。
(カトラスの達人とする説をNET上でよく目にしますが、そういった記録はNET以外では今のところ見つけられません・・・彼がカトラスを使って50人以上の捕虜を次々に撫で斬りにして殺したエピソードが「達人」に変わってしまったのでは?と考えています。記録が確認でき次第修正します^^/)

とにかく、ただひたすら残虐な殺戮を繰り返すことで海賊史に名前が残った恐ろしい男だ。
海賊のたまり場・ケイマン諸島でロウはジョージ・ラウザと出会い、意気投合した2人はラウザを船長、ロウを副船長として海賊団を結成。
数多くの船を拿捕し、悪行の限りを尽くしたがジョージ・ラウザはロウのあまりの残虐性に呆れ1722年に2人は決別した。
その後はジョージ・ラウザも海賊家業を続けるが、ロウが異様なまでに悪名を上げていくほどには表舞台には出てこなくなる。

ラウザと分かれた後もロウの残虐性は益々増していくばかりだった。
黒字に赤い髑髏の海賊旗を掲げカリブ海を恐怖のどん底に陥れた
あるときポルトガルの船を襲った際、その船の船長が「海賊にくれてやるくらいなら・・・」と金貨が詰まった袋を海に投げ捨てた事があった。
激怒したロウはその船長の唇を切り落とし、苦痛でのたうちまわる本人の目の前で焼くと、そのポルトガル船の船員に食べさせた。
ロウの怒りはそれでも収まらず、船長はじめ全ての船員を殺してしまう。
またニューイングランドで捕鯨船を捕えたとき、その船長の耳を削ぎ落し、本人に食べさせたという事もあれば、
あるときなどは捕虜の体を切りつけて心臓をえぐり出し、目の前で食べてみせた事もあった。
とにかくロウの場合、殺戮が一種の楽しみでさえあったようだ。

「海賊史」でキャプテン・ジョンソンは次のように記している
「怒りと激情に任せて人を殺すばかりではなく、上機嫌のあまり人を殺す事も同じくらい頻繁にあった。彼の微笑みには常に危険が潜んでいる」
捕虜を殺す前には拷問をしてから殺すと言う完全な快楽殺人者だ。
捕虜を殺すにしてもただ殺すのではなく、泣き叫び助けを請う捕虜の口に銃口を突っ込み、恐怖を煽ってから殺したり、
マストに吊るして瀕死になったところで一旦降ろし手当てして、回復したらまた吊るすということもあった。
ロウの活動地域は西インド諸島やカナリア諸島などだが、この海域を通る船の船員達ははロウの船を見かけただけで血が凍りついたと言う。
これだけ残虐の限りを尽くしたロウだが、その最期に関してはよくわかっていない。
あまりの残虐さに部下たちでさえ身に危険を感じ、ロウを言いくるめ孤島に置き去りにしたという説もあれば、船が座礁して死んだとういう説、中にはブラジルに渡ったと言う生存説まで・・・・
こんなロウにもひとつだけ美談と呼べるものがある。

彼がまだ海に出る前のこと、ボストンで家族を持っていたが、長男は早くに亡くし、その後長女を授かったが妻が出産時に亡くなってしまった。
深く悲しんだロウはその後海に出て極悪非道の限りを尽くすが、このつらい経験のせいかロウは既婚者を絶対に仲間にしなかった。
また捕らえた船に女性が居た場合、女性だけは無事に港に帰したと伝えられている。
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