当サイトでも紹介しているバイキング王「リューリク」が興したロシア最古の都市ノヴゴロド公国は1570年、暴君として有名なイワン雷帝により人口の半分以上が処刑されるという血塗られた恐ろしい過去を持っている。

ロシア史上最悪の暴君と言われたイワン雷帝(イワン4世)は1530年ヴァシーリー3世の長男として生まれた。
ロシアでは「グローズヌイ」(恐怖を与える、脅す)という渾名で呼ばれており、この単語には「雷」という意味はないが、元となった「雷雨」という意味を持つ「グロザー」からイメージし畏怖をこめて和訳された渾名が「雷帝」だ。

イワン雷帝は自分の意に背くものは何者であろうとも残忍な方法で拷問にかけ処刑していった事で知られている。

人が苦しむさまを目を爛々とさせ、微笑みさえ浮かべて興奮し、流れる血に狂喜の雄叫びをあげたという。

そんな狂気の日常を送る彼が
「もっと多くの血が見たい」
と感じたとしても何の不思議もなく、そんな折ノヴゴロド公国のモスクワに対する裏切り情報がもたらされたことでこの町の運命は最悪の方向に進むことになる。

「ノヴゴロドの町を懲罰する」

ノヴゴロドが敵方であるリトアニア・ポーランドに内通しているという密告が発端だが、イワン雷帝にとって寝返りの真偽などどうでもよかったらしく、情報がもたらされたと同時に決定した事項だった。

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1570年1月2日に先発部隊がノヴゴロドに到着し、町の周囲をぐるりと柵で囲んだ。
市民が逃亡しないための措置だ。

先発部隊はまず町の有力者たちを自宅に幽閉し、役人を逮捕した。

ノヴゴロドの人々もイワン雷帝がどのような人物なのか、話には聞いている・・・・・・
だが何が起こるのか?はわからなかった。

「これから恐ろしい事が起きる予感がする」

多くの人々はそう感じたが、だからといってどうすることもできず、恐怖に怯えながらイワン雷帝の到着を待つしかなかった。


実はこの時すでにイワン雷帝による大虐殺は始まっていた・・・・・・

モスクワからノヴゴロドに向かう途中にも町や村が存在するが、イワン雷帝は進軍がノヴゴロドに伝わらぬよう、口封じのため、進軍途上の町や村の住人達を惨殺しながら進んだ。
家々は焼き尽くされそこに暮らす人々は文字通り皆殺しだった。

この時点でノヴゴロドの人々はそのような悲劇を知る由もなく、自分たちが住む町がこれ以上の地獄と化すことになろうとは想像もしていない。


1570年1月8日とうとうイワン雷帝がノヴゴロドに到着

まず町の有力者とその家族、陰謀に加担したとされる役人とその家族、聖職者などがヴォルホフ川河川敷に設営した野営地に連行された。


連れてこられた人々はその野営地に用意されていた拷問用具の数々を目の当たりにし、これから自分たちに起こるであろう最悪の事態を想像し恐怖した。

そしてイワン雷帝に許しを請うた。

「祖国を裏切ってなどいません、どうぞお許しください」

必死で無実を訴えるノヴゴロドの人々の声はイワン雷帝の耳に届くことなどありえない。

なぜならイワンはこの町に殺戮に来たのだ。
住民たちの言い分を聞きに来たのではない。


容赦なく残虐な拷問が開始される。



鞭で打たれ切り裂かれた肌に煮えたぎった湯がかけられ、鼻や耳は削ぎ落とされ、手足は切り刻まれた。
舌を抜かれたり、内臓を引きずり出されたり・・・・・・
周辺には肉片・鮮血が飛び散った。

あまりの拷問に耐え切れず罪を認めたものは血みどろになるまで鞭で打たれた挙句、氷の張った極寒のヴォルホフ川に投げ込まれた。
その家族も手足を縛られ川に投げ込まれ、上がってくる者がいれば斧などで叩かれ沈められた。

まさに地獄そのものだ

イワン雷帝は、ただ肉体的な苦痛を与える拷問に飽き足らず、精神的に極めて残虐な
「家族の目の前で殺す」
という悪魔の所業ともいえる拷問を特に好んだ。

そのため目の前で我が子を殺された母親は発狂し、逆に母親を殺された子供は泣き叫ぶ


そのように状況が悲惨であればあるほどイワン雷帝は満たされ
快楽に酔いしれる事が出来るのだった。


こんな狂気の処刑がこの先6週間にわたってノヴゴロドの町で続けられ、
イワン雷帝がノヴゴロドの町を去った時には町の人口が以前の半分以下になっていた。

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イワン雷帝

ロシア史上最悪の暴君と言われ「悪魔の化身」と言っても言い過ぎとは思えないイワン雷帝の残虐性は幼いころから現れていた。父のヴァシリー3世は50過ぎるまで後継者に恵まれず、ようやく誕生した嫡男がイワン4世だ。

ところがヴァシリー3世はイワンが幼いころ病死し、残された幼いイワンは「隙あらば」と王位を狙う大貴族達のはざまで大人たちに無視され孤独な幼少時代を送った。

そんなイワン少年は子犬や子猫を宮殿の塔から投げ捨てて殺すことに異様なまでに興奮するようになる。
か弱い命が、苦しみ力なく息絶える瞬間がたまらなく好きだったという。

根底にはこのような歪んだ一面も持ち合わせていたものの、成長し「君主」として戴冠する1547年ころには優秀な顧問団にも助けられロシアの大貴族による専横政治の改革にも着手し、むしろ下層の国民たちに善政を敷く名君と思われていた。
また同じ年に元プロシア貴族出身のアナスタシアという妻も迎え、公私ともに充実した生活を送っていたのだが・・・・・・


そんな名君の器を垣間見せたイワン雷帝だったが
1560年最愛の妻アナスタシアを謎の病気で亡くし、それが毒殺によるものかもしれないという事実を知った事をきっかけにイワンの奥底にあった残虐な一面がたびたび顔を出すようになったといわれる。


イワン雷帝にはまるで生き写しか?ともいえる次男(同名のイワン)がいた。
この次男もイワン雷帝と同じく拷問や虐殺に喜びを見出す性格で、子供のころから父親のする拷問見学のため地下牢に出入りしていたようだ。

もちろん上記ノヴゴロドの大虐殺にも参加している。

その次男が、大人になって妻をめとり、その妻が妊娠中に、イワン雷帝の怒りを買って打ち据えられ流産してしまうという事件が起きた。

次男はイワン雷帝を罵ったが、それが度を越してしまいイワン雷帝の逆鱗に触れたことで本気の大喧嘩となり、イワン雷帝は次男を殺してしまった。

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イワン雷帝は同名の皇子イワンを誤殺してしまう

我に返ったイワン雷帝は息子を殺した罪の意識に苛まれ続ける晩年を送ることになる。
そして、自分がしてきたことを悔いるような書(犠牲者の記録簿)も執筆している

ロシア史上最悪の暴君イワン雷帝ことイワン4世は1584年54歳で死んだ。