16世紀イギリスのエリザベス1世と同時期に隣国アイルランドのウール王国族長の娘として生まれ、別名グラニュエールともいう。

ウール王国は古くから漁業と共に海賊稼業を営みつつ生きて来た国だが、その王国の女王であるグレイス・オマリは英国サイドからは「非情な掠奪者にして周辺海域の凶悪な海賊のリーダー」と恐れられた。

それはあくまでも英国サイドの見方であって、逆に地元(アイルランド)ではおとぎ話や童謡で唄われるほど讃えられた英雄でもある。

アイルランドは古くからケルト人が住み着いていた地域だったがヴァイキングの侵略を受けて荒廃し、それぞれの氏族が各地で覇を争う首長制社会だった。

そのためアイルランド全体の統一はなかなか出来なかったのに対して、隣国のイギリスは国内の統一が早く、アイルランドにも植民や征服の手を伸ばしてくるようになる。

当然アイルランドの各部族長は抵抗しイギリスの支配階級とは紛争が絶えなかった。

そんなアイルランドの一部族の王女であったグレイス・オマリ―は地元のある族長と15歳で結婚し2人の息子を儲けたが、あるとき夫が戦死した為に海賊に身を窶す事になる。

当時のアイルランドの法律が女性族長を認めなかった為に、彼女は自分につき従う事を選んだ男たちを引き連れて海賊となり、周辺の海を荒らしまわったのだ。

彼女の獲物は西海岸を沿って往復する商船だ。

商人たちは「船に積んだ商品のみならず何人もの人を殺し、交易を望む人たちを恐怖に陥れている」

と、イギリス王室に訴えたが、まともに対応してもらえなかったという。

当時イギリスのエリザベス女王は大国スペインとの関係悪化という大問題を抱えており、グレイスも含め、他のアイルランドの族長達に対してむしろ懐柔策をとっていたのだ。

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イングランド女王 エリザベス1世

 

1576年、エリザベス1世の代理人がグレイスと会見し、グレイスの夫は騎士に叙され、彼女はレディ・バークとなったが、この事をグレイスは英国王室による「海賊行為の容認」と受け止め、自分のなわばりに入って来た船から通行料をとる事は勿論、時には容赦なく襲い掠奪もしたのだった。

その頃彼女は再婚しており3人目の息子も生まれたが、その出産は海の上だったと言う。

そして出産の翌日にはバルバリア海賊に襲われたにもかかわらず、自ら陣頭指揮をとってこれを撃退している。

(この頃のイスラム海賊は地中海を越えて北海・大西洋にまで手を伸ばすようになっていた)

やがてイギリスがスペインと戦争状態に陥ると、それまでグレイスに対して寛容だったエリザベス女王は、スペインとアイルランドの結びつきを恐れ、それまでの態度を一変させ、力でアイルランドの族長たちを屈服させようと様々な手段を講じて来たのだ。

 

そして1592年グレイスの末息子が反乱に加担した罪で逮捕されてしまう。

彼女は嘆願書を送り、その年のうちにロンドンに赴きエリザベス女王と会見した。

これまでの海賊行為は一族を守る為のやむを得ない行為である事を訴えると同時に、息子の罪の許し請うため、何がしかの条件を飲んだと思われるが、仔細は判っていない。

ただ当時の記録では、グレイスはアイルランド北西部の小さな勢力の族長でしかないにもかかわらず、臆することなく英国女王のエリザベス1世と対等に渡り合い折衝を進めたと言われる。

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グレイス・オマリーとエリザベス1世の会見

小国の族長が大国の首都(ロンドン)にまで出向き女王に謁見した場合、恭順を示すのは当たり前で、

まして息子を助けてもらうのだから「今後グレイスは永遠に英国に忠誠を尽くす」くらいの条件があって当たり前だと思うのだが、そのような気配はほとんど無い。

エリザベス女王との会見後もグレイスは海賊活動を相変わらず続け、イギリス船であっても平気で襲撃しており、それどころかアイルランドの反イギリス勢力を結集したアルスター(北アイルランドの州のひとつ)族長に参戦を請われると、それを受けて息子と共に参戦しイギリス軍と平然と戦っている。

つまりグレイスが一方的に恭順を示したと言うような会見ではなかったようだ。

そうかと言って会見を機に対立を深めてしまったというわけでもなさそうで、このアルスターの反乱の時もグレイスは先に書いたとおり最初こそアルスター側で戦っていたが、自分に不利益と悟ると逆に英国の側に寝返り、以後は最後まで英国側で戦った。

グレイスの息子も後に忠誠を認められナイトに叙せられ英国の貴族(子爵)になっている。

2人の女王の会見がどんな状況だったのか?大変興味深い。

まるで会見前の様々なトラブルなどリセットされたかのように、グレイスは元の女海賊に戻ってしまっている。

とくに英国に恭順を示す風でもなければ、敵対する風でもない・・・・・

いったいなにがあったのか?知る由も無いが

当時の両国の立場を考えると英国のエリザベス女王の態度がグレイスに対してだけ、あまりにも寛大すぎる気もする。

英国のエリザベス女王も自国より遥かに強大なスペインから様々な圧力を受けながら王室を支えてきた女性。

グレースのように自ら船に乗り込むことこそなかったが、フランシス・ドレークなどの私掠船長を雇いながら公然と海賊活動に勤しんでいたのも事実である。

大国と小国という違いこそあれ、同じように一国を背負った女海賊グレイスにはどこか共感するところがあったのかもれない。

グレイスは計らずもエリザベス女王が没したのと同じ年1603年に波乱の人生の幕を閉じている。