たった一度の襲撃で大海賊と呼ばれるようになった幸運の持ち主がこのジョン・エイヴァリだ。

ただ署名では「ヘンリー・エイヴァリ」と名乗るなど彼の実態は謎が多い。

最初に彼を「幸運の持ち主」と紹介したが、はたして本当に幸運だったかどうかは微妙なところだ。

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ジョン・エイヴァリ

 

1694年スペインから雇われた私掠船チャールズ2世号の航海士としてフランスの密輸業者と戦うためブリストルを出発しカリブ海に向かうが、給料が全く支払われない事に不満を抱いた船員達が反乱を起こし、エイヴァリは新たな船長に推されて、これを引き受け、船の名を「ファンシー号」と変えてインド洋に向かった。

道中、複数の海賊船と合流し海賊団を編成しマダカスカル島周辺で待ち伏せしていると、とんでもない獲物が彼らの前に現れた。

ムガール帝国の、聖地メッカからの巡礼帰りの船団6隻だった。

そのうちの一隻を拿捕するとなんと4万ポンドの金銀が積み込まれていた。

当時の平均的な船乗りの生涯賃金が500ポンドだったころの話だ、この小型船でさえこんな積荷なのだから逃げた他の5隻に積まれているはずの財宝の価値は想像もできなかっただろう。

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ムガール王国の国旗

エイヴァリは大慌てで逃げる船団を追い、もう一隻の船を捕えると、その船は先の船より大型で、そこには海賊史上でも最大と言っても良いほどの金銀財宝が積まれていた。

それもそのはずで、この船はムガール帝国皇帝の持ち船で、積まれていた宝はメッカからムガール皇帝への献上品だったのだ。

さっそく財宝の分配が始まったが、このとき18歳以下の見習いにさえ普通の船乗りが生涯で稼ぐ額とほぼ同額の500ポンドを与えたというのだから、その宝の量がいかに莫大だったかは推して知る事が出来よう。

さらに14歳以下の者には「今後陸上で真っ当に暮らせるように」と100ポンドを追加で与えたのだった。

このように海賊は概ね仲間には手厚いが、獲物には容赦ないもの・・・・

このムガールの船も金銀財宝を全て奪われたのはもとより、乗組員のほとんどは殺され、全ての女性は暴行を加えられた。

メッカへの巡礼帰りの信心深い女性たちの多くはその場で自殺の道を選んでいる。

これを知ったムガール皇帝は当然激怒し、東インド会社を通して猛抗議したがエイヴァリはこれを無視。

ムガール皇帝のあまりの怒りにイギリス政府はエイヴァリに500ポンドの賞金を掛けて命をつけ狙うこととなった。

ムガール皇帝を敵に回すという事は当時の超強国まるごと敵に回すに等しい事なので、たとえどんな屈強な海賊であったとしても平常心ではいられない。

エイヴァリはバハマ諸島の総督に7000ポンドで赦免を得ようとしたが拒否されると、今度はジャマイカの総督に2万ポンドを送るという手紙を出すが、これもダメだった。

結局彼は故郷のアイルランドにひっそり帰るしか選択肢は無くなり、名前を変えてさびしい晩年を暮らしたという。

しかも奪った金銀財宝は換金の際に詐欺師によって奪い取られてしまったらしい・・・・。

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エイヴァリの海賊旗

エイヴァリは全ての海賊が夢にまで見るほどの巨額の戦利品をたった一回の襲撃で獲得した事で大海賊と呼ばれるようになるが、一回で掠奪した財宝があまりに巨額過ぎた為、誰にも助けてもらえず、それどころか莫大な賞金が掛けられた事でその後の人生を常に命を狙われる恐怖にさらされる事になってしまう。

逃げるようにしてアイルランドに帰った後の彼の消息はわかっていない。