彼の通り名は「海賊紳士」
これだけを聞くと「どんな立派な海賊なんだ?」と思ってしまうかもしれないが実は・・・・・・


歴史に残る海賊たちには実に様々なタイプの人がおり「海賊とはこういう人なのだ」といった定義のようなものはない。
勇猛果敢な者もいれば残虐な者もおり、とんでもなく頭の良い者もいればカリスマ性に溢れた者もいる。

つまりどんな人間であろうとも海賊に落ちぶれてしまう可能性はあったわけで

ややこしい話になってしまうが
どんな人も海賊になる可能性があるのだから「絶対にこの人は海賊にならないだろう」という人が海賊になったとしても不思議はなく、史上には実際にそんな海賊も存在する。
その代表がスティード・ボネットだ。

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スティード・ボネット


ボネットは地位も財産も教養もあり地元バルバドス島では名士として人々から尊敬さえ集める紳士であった。
イギリス陸軍を退役した上流階級の紳士である彼が海賊になったと聞いたときバルバドスの人達は仰天し、彼のことをよく知る人はボネットが海賊になった原因として結婚生活のストレスを挙げている。

つまり怖い奥さんから逃れるために経済的に何不自由無い生活を捨て海賊になったというのだ。

海事には全くの素人だったボネットは70人の船乗りを金で雇い、10門の大砲を装備したスループ船でバルバドス港を出港した。すべて自前だ。

ヴァージニア沖での初航海で数隻の船を捕らえることに成功し金品を強奪した後、ニューヨーク・サウスカロライナ・ノースカロライナと活動場所を転々としながら海賊を続けた。
海賊としてのスタートはいっけん好調に見えたが、海事に素人だったボネット船長の元、乗組員の意見はバラバラで意思統一ができておらず海賊一味として今後の指針さえままならぬ混乱した状態が続いていた。

そんな状況下で一味は黒髭ことエドワードティーチの海賊団に出会うことになる

そして2つの海賊団は行動を共にすることになるのだが

この黒髭という男は船乗りとしての腕もさることながら、度胸も行動力もあり大胆さでは右に出るものはなく
想像を絶するような悪事でさえ何事もなかったかのように実行できるまさに海賊中の海賊だった。

史上最も海賊らしい海賊「黒髭ティーチ」と史上最も海賊の似合わない男「スティード・ボネット」を引き合わせ
一緒に行動させてしまうのだから歴史の神様のイタズラには困ったものだ。

行動を共にするといっても、2人の関係は対等であるはずもなくボネットは素人であることがすぐに露見し黒髭一味から露骨なほどに蔑ろにされた。

ボネットの船は黒髭一味の僚船として加わったはずが、いつの間にかそのスループ船は黒髭の手下リチャーズが指揮をとるようになっており、黒髭の船に乗せられたボネットは一味の仕事さえ全く関与させてもらえない囚人のようなありさまだったのだ。

ボネットは自分のとった軽率な行動を心から後悔し
「こんな稼業からは足を洗いたいが今更イギリス人に顔を合わせるのも恥ずかしい」
と幾人かの海賊には話していた。

しかしそんなボネットにも転機が訪れ、あるとき黒髭が国王の赦免状を手に入れ自らの船団を放棄した際、ボネットも赦免状を手にすることが出来、スループ船も戻ってきた。

辛かった海賊稼業から足を洗う絶好のチャンスである。
ここで海賊稼業に見切りをつけておけばよかった、と言うかそうする決心もついていたはずなのに・・・・

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ボネットの海賊旗


ちょうどフランス・オランダ・イギリスの3国とスペインとの間に戦争が勃発し、懲りないボネットはスペインに対する私掠許可を得ようとセントトマス島に向かった時のこと
ある町でティーチの暴虐に耐えかねて逃げてきたという2人の海賊に出会った。

彼らから黒髭ティーチが17人の仲間を孤島に置き去りにしたことを聞きボネットは事実を確かめるためにその孤島に向かったところ確かに置き去りにされた海賊たちがそこにいた。

その島には生き物は生息しておらず食糧になるものは何もなく、脱出用の筏を組む木もなかった。
おそらく黒髭は彼らを餓死させるつもりだったのだろう。

ボネット自身も数えきれないほどの侮辱をうけた黒髭に対して激しい憎悪を抱いていたこともあり、黒髭に殺されかけた彼らを仲間として受け入れることに抵抗はなかった。

このあたりからボネットの奇行が始まることになる

ボネットは海賊を続けながら略奪した相手に対して「別のものを置いていく」という不思議な行動をとることがしばしばあった。
これは「俺たちは海賊行為をしたわけじゃなく商売をしたのだ」という悪に徹しきれないボネットの気休めだったように思える。

奇行と言えば、あろうことか黒髭に対する憎悪のあまり「近くに黒髭がいる」という情報を得ると黒髭を襲撃しようとあとを追いかけたこともあった。
幸い?追いつくことはなく2人が遭遇することはなかったが、もし遭遇していたらボネットは何をするつもりだったのだろう?


このような優柔不断な男に海賊として大きなことはできるはずもなかったが、黒髭と同行していた経験によってそれなりに海賊の仕事はできるようになっていた。

しかし海賊としての活動は長く続かず1718年12月
サウスキャロライナのウイリアム・レッド大佐によって捕縛されチャールストンで裁判にかけられ絞首刑となる。
海賊になったのが1717年の8月なので実働期間1年と4か月。




ボネットは裁判において
「自分が船を拿捕したのは黒髭と一緒にいた時だけだ」
と主張したが認められなかった。

またボネットは拘留中次のような嘆願を総督に提出している

<簡略>
植民地総督閣下へ
閣下の傑出したお人柄を信頼し、閣下の憐憫と同情を懇願いたしたく、またこの私がこの世で最も惨めな人間であることをお知り頂きたく存じます。
そして私の悲嘆にくれた魂が流す涙が閣下の心を動かし私の陰惨な境遇を思いやっていただけたらと思います。
(中略 私は黒髭に無理強いさせられていたのだという言い訳と、総督に対する歯の浮くようなお世辞が延々と続く)
閣下が私に命を与えてくださるなら2度とあの忌まわしい稼業に戻ることがないよう私は自らの手足を切り落としてもかまいません。
そして残された舌を使って神に祈りを捧げます。
(後略 自分は敬虔なキリスト教徒であり、総督閣下もキリスト教徒であるならご慈悲を・・・を繰り返す)
閣下の最も哀れなそして苦しんでいる下僕 スティード・ボネット

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ボネットの絞首刑



30年の人生の中で29年は光あふれる人生だったボネット。
この人、絶対に海賊になるべきではなかった・・・・