世界周航をした初の女性として記録に残っています。

一般的には英語読みの「ジーン・バレ」の方が通りが良いかもしれません。

1768年のルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルの世界一周探検航海に植物学者として参加したフィリベール・コメルソンの助手及び看護役として乗船しました。

当時の船乗りの間では「女性が乗った船は船の女神が嫉妬して沈めてしまう」という迷信を信じていた者も多く、海賊船などでは「女性を乗船させたものは死罪」という掟があった船も珍しくありません。

 

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没後に描かれたジャンヌ・バレのイメージ図

そのためバレも女性である事を隠し男装して乗船したのでした。

当時の航海においては船長も含め乗組員に「船室」が与えられることなど無く、船長室があってもそれは形だけで、実際は出入り自由な船が多かったのですが、

植物学者は調査用で数多くの機材が必要だったため、コメルソンと助手であるバレには特例として広い船室が与えられていました。

そのためトイレも他の乗組員とは別だったので、他の船員に疑われること無く航海が続けられたようです。

コメルソンはもともと体が強い方ではなかった事もあって、機材の運搬など採取における様々な肉体労働はほとんどバレがこなしていました。

またそうした肉体労働のみならず採取した植物の整理もバレの仕事でした。

もちろんコメルソン個人の介護を努めつつです。

リオデジャネイロでは新種の植物を採取しますが、それは後に船長ブーガンヴィルの名前をとって「ブーゲンビリア」と名付けられ欧州中に知られるようになり、植物学者チームの一員として歴史に残る大きな成果もあげました。

バレが女性である事が露見したいきさつは、記録した人によって様々なのであくまでも一説と言う事でご紹介しますが、

タヒチでの原住民たちによる接待がきっかけと言われています。

当時の太平洋上の島の多くで旅の客人を官能的にもてなす風習があったのですが、島をあげてのそうした接待をバレが拒否したので、島の長老が怒って船長のブーガンヴィルに抗議をした際、女性である事をカミングアウトしたとされています。

ただこれは脚色された感が強く実際は「船医に性別がばれた」と言うのが真相だとする説もあり、普通に考えればこの方が納得できますね。

もし、もう少し前の時代なら確実に船を降ろされたでしょうが、外洋航海が相当に成熟してきたこの頃は、女性であることが露見したからと言って、そのような無慈悲な事はされず、バレは航海を続けることになります。

食料の不足のためインドネシアで補給した後、コメルソンとバレは知り合いの植物学者ピエール・ポワブルが植民地の監督官を務めていたモーリシャスに停泊した際に客人としてポワブルのもとに残るよう促されました。

 

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モーリシャスの美しい浜辺

船長のブーガンヴィルが2人の下船を許可し、2人はモーリシャスに残ります。

バレはモーリシャスでコメルソンの看護と世話を務めつつ、植物採取の仕事も精力的にこなしました。

その後コメルソンは1773年に病死しますが、コメルソンの死後は居酒屋で働き1774年5月、帰国途中のフランス陸軍の下士官ジャン・ドゥベルナと結婚したのを機に、翌年フランスに戻りました。

これによってバレは世界一周をした最初の女性となります。

その後ブーガンヴィルの世界一周航海でコメルソンを助けて働いた功績が認められ年間200ルーブルの年金が国から与えられることになり、バレにもようやく静かな生活が訪れます。

主人であるコメルソンには献身的に仕えつつ、好奇心の赴くままに生きた女性ジャンヌ・バレは1807年に67歳で亡くなりました。