<スペインの焦り>

ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが東廻りでアジアに到達した事に、スペインは激しく反応しました。

コロンブスによって西廻りでインディアスに到達した(そう思われていた)にもかかわらず、その後の展開は思うようにはいかず、黄金も思ったほど出てこず大ハーン国も見つかりません。

新大陸は当時の認識ではアジアの東端にある半島であり、その半島の西には大きな湾があって、その湾の中に香辛諸島もあると考えられていましたので、スペインとしては一刻も早くその湾内に入りたかったのです。

もたもたしていたら東廻りでインドに到達したポルトガルに西側を全て抑えられ、その湾内に点在するはずの香辛諸島も、手が出せない状態になってしまうという焦りに襲われたのです。

その湾を「シヌス・マグヌス」といい、大陸の東海岸から西側のそのシヌス・マグヌスに抜ける為の海峡を探す事がスペインにとっては最重要課題だったのですが・・・・

皮肉なことに海峡探索とは全く無縁の男がシヌス・マグヌスと思われる未知の海を発見してしまいました。

その男こそ「バスコ・ヌニュス・デ・バルボア」です。

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バスコ・ヌニュス・デ・バルボア

<バルボアという男>

新大陸の植民政策を積極的に推し進めるスペインでしたが、彼らヨーロッパ人達の大きな障害物となったのは「ジャングル」でした。

北方育ちのヨーロッパ人達にとって南国のジャングルは未知の恐ろしい世界です。

ジャングルにはピューマやクーガーなどの大型の肉食ネコ科動物がおり、そいつらも危険なのは当然ですが、実はそれ以上に小型の動物の方が恐ろしかったのです。

猛毒を持ったカエルやヘビ、これらは噛まれたり刺されたりしたら100%死に至るものも少なくありません。

また水の中にも恐ろしい生き物はたくさんおり、うかつに水に入る事も絶対に避けねばなりませんし、昆虫類にさえも気は抜けません。

ジャングルでは全ての生き物が飢えており、ところ構わず噛みついてきますが、そいつらはどんな伝染病を媒介しているかわかったもんじゃありません。

このような場所で植民を成功させるには2つの方法があると言われています。

1つは「人海戦術」

装備から武器から、とにかく準備万端で挑み、犠牲者を顧みず残された者たちで計画を遂行する方法

2つ目は「現地融合」

永い年月をその地で生き抜いてきた現地の人達の知恵を拝借し、彼らの協力を得る方法

バルボアはその両方を上手く使い分けられるタイプの人だったようです。

1509年当時スペイン政府はパナマとコロンビア北岸部の植民を進めていました。

しかしパナマの植民を目指したチームは黄熱病やマラリアなど風土病で次々と死んでいき、780人いた探検隊はわずか1年で60人になってしまいました。

また、コロンビアに入ったグループも風土病に加え原住民との戦いで次々に死んでいきました。

バルボアはコロンビア植民チームにいましたが、仲間たちの困窮を見かねてある提案をします。

「この近くに裕福な部落があるからそこに行こう」

(「行こう」と言うのは「=襲おう」と言う事です)

しかし仲間たちは二の足を踏みます。

彼らが原住民たちとの戦いで経験した毒矢攻撃に大変な恐怖を感じていたのです。

毒矢による攻撃は凄まじい威力で、かすり傷ひとつでも受ければ悶絶のうちに死に至ります。

殺傷効率では欧州の近代兵器に劣りますが、敵に与える恐怖心は欧州のそれを遥かに上回りました。

バルボアは以前別のチームでその部落と接触しており

「あそこの連中は毒矢を使わない」

と付け加えた事で仲間達もバルボアについて行く決心をしました。

バルボア一行はその部落に到着すると村人たちを恫喝し村を占拠し、豊富な食糧とありったけの黄金の装飾品を奪い、この部落を拠点に活動することになりました。

このニュースは瞬く間に伝わり、分散していた植民者たちが続々と集結して来ましたが、そうなると「誰が新たな拠点の総督となるか?」という問題が浮上して来ます。

候補は2人いました。

2人ともスペイン本国から新大陸の植民を委任された他の地域の総督と副総督でした。

しかし、この部落に集結した男たちは彼らに従おうとはしません。

彼ら2人は仲間たちが死んでいくのに手をこまねいているばかりで何もしなかったのです。

このような過酷な場所で無能な指揮官について行く事がどれだけ危険な事か?

過酷な現実を生き抜いた彼らはよく知っていました。

そこで彼らは部落襲撃を指導したバルボアを総督として担ぎ上げました。

本来、総督の選任は国王の専権事項ですが、毎日が生きるか死ぬかのギリギリに追い込まれ続けている彼らに国王の威光など関係ありません。

権威だけを振りかざす無能な2人の指揮官は船を与えられ追い出されてしまいました。

そのうちの1人が本国に帰ってバルボアを「反逆罪」で訴える事になり、これが後にバルボアの運命を狂わせることになりますが、その話は後ほど・・・・・

<南の海発見>

バルボアは総督に就任するとその周辺に「ダリエン」(サンタマリア・デ・ラ・アンティグア・デル・ダリエン)と言う名前をつけ、周辺部落の征服の為に襲撃をしかけました。

ところが、村を襲撃し酋長を捕縛しますがバルボアは襲った村で突然の心変わりをします。

バルボアが心変わりした理由として

・原住民たちを単なる奴隷としではなく、彼らも尊敬に値する価値観と慣習と信仰を備えた人間であると気づいた為

・宗教の違いこそあれ彼ら原住民は名誉を重んじ、スペイン人が忘れかけていた騎士道に通じるものがあり恥じ入った為

・過酷な現地で生きていく為には争うより味方につけた方が得と悟った為

など、色々言われていますが、定かではありません。

いずれにせよバルボア存命中、後のコンキスタドール(征服者)が行ったような殺戮はありませんでした。

そのためバルボアは現地のインディオ達には「同盟者には友好的である」という風聞が伝わり「恐ろしい侵略者」とは一線をかくした見られ方をしていたようです。

ある日バルボアのもとにコマグレという酋長の使者が訪れ、彼を村に招きました。

数名の部下と共にバルボアは村を訪れ紳士的に振る舞い、また村の人達もスペイン人達にとても親切で、バルボアとコマグレとは堅い友情で結ばれました。

コマグレには何人か息子がおり、バルボアは長男から「山の向こうの南の海」の話を聞きます。

バルボアの部下達が村人に貰った黄金を必死の形相で獲り合う姿を見たコマグレの息子はバルボアにこう言います

「あなた方は故郷を捨ててこんなに遠くの地までやってきて、この地で平和に暮らす者に禍をもたらす者さえいる。なぜそれほどまで黄金に固執するのか?」

これにはバルボアはじめ部下達も恥じ入りました。

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パナマのバルボア記念碑

そして次のように続けました

「あなた方がそれほどまでに黄金に飢えているなら、それを満たす方法を私は知っている」

驚きざわめくスペイン人達に向かってコマグレの息子はこう言います

「あなた方の争いの種になった黄金は全て我々が食糧と交換して得たものだ、彼らは・・・」

そう言うと南の方を指さし

「あの山の向こうに海がある、その近くに住んでいるが気の荒い凶暴な食人種で我々が渡す食糧には人間も含まれる。彼らは我々にとっても脅威の存在であるが、彼らを打ち破るには1000人の兵士が必要だ」

これを聞いてバルボア一行は興奮します。

「それこそ伝説のエルドラド(黄金郷)に違いない!」

そして本国にこの報告をし、1000人の援軍を待つ事にしますが、いつまでたっても本国からの報せはなく、それどころかバルボアに届いた報せは「本国に帰還せよ!」という予想外の召喚命令でした。

覚えていますでしょうか?

バルボアがダリエンの総督に就任したとき、追放した2人の無能な上司のうち1人がスペイン本国に帰還しバルボアを「反逆罪」で訴えたという話し・・・

彼の名はフェルナンデス・デ・エンシソという本職は法律家で、バルボアに追放された事を根に持っての行動です。

スペイン政府はエンシソの訴えを信じ、バルボアの言には耳を貸しませんでした。

国家に対する「反逆罪」は重罪であり帰還命令に従えば本国で処刑されるのは目に見えています。

バルボアは本国で処刑されるくらいならジャングルで野垂れ死にした方がマシと考え帰還命令を無視し、コマグレの息子の話に従って「南の海」を目指す事にします。

1513年8月末バルボア率いる190人のスペイン人とコマグレの息子に率いられたインディオ部隊は合流しジャングルに突入しました。

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1513年バルボアの行軍地図

途中、抵抗する部族を武力で制圧しながらの厳しい行軍でした。

スペイン兵たちはかなりの重装備で、たちまち体力を消耗してしまう為、1日の平均行軍速度は1.6Kmだったと記録に残っています。

1513年9月25日、歴史的な瞬間が訪れました、バルボアが丘の上に立つと眼下に広大な湾が広がっていたのです。

190人いた仲間も死者や脱落者が相次ぎ60人にまで減っていました。

バルボアは部下達と抱擁し合って狂喜し、互いの労をねぎらい、そしてここまで案内してくれたコマグレの息子達には感謝の言葉を述べました。

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スペインの領有を宣言するバルボア

9月29日サンミゲル湾と名付けたその湾に降り立ち、剣と楯を手に海に入り、スペイン国王の名においてこの地の領有を宣言しました。

そしてバルボア達はサンミゲル湾周辺の部族を次々に支配下に治めていきますが、戦うだけではなく、すでに支配下に入ったインディオたちを使者として降伏勧告をさせました。

「スペイン人は敵に回せば怖いが同盟したら心強い。黄金などいくらでもあるだろう?スペイン人たちは黄金を渡せば鉄の斧をくれるぞ」

こういった説得工作の効果は抜群で、バルボア達は「南の海発見」という快挙と共に大量の財宝をスペインにもたらし、バルボアは一躍国民的英雄に担ぎ上げられました。

<バルボアの最期>

あるときペドロ・アリアス・ダビラという役人がスペインからパナマ総督として赴任して来ました。

そして、かつてバルボアが追放し、スペイン本国でバルボアを反逆罪で訴えたエンシソもペドロの法律顧問として赴任してきます。

新総督のペドロは無能な男でエンシソの言いなりだったうえに権力欲だけは人一倍で、バルボアの人気を恐れバルボアの一切の権限を取り上げ軟禁してしまいます。

そしてスペイン人たちに発令します

「黄金を集めよ!手段は問わない」

スペインによる残虐行為が本格的に始まったのはこの時からです

バルボアと同盟を結んでいた酋長達はことごとく殺され

かのコマグレの息子も焼き殺されました・・・・・

バルボアは激しく怒りましたが彼にはどうする事もできませんでした。

バルボアはコマグレの息子が生前言っていた謎の黄金王国を探索する決心をします。

コマグレの息子だけでなく、他の部族の酋長たちの多くが

「この海の南にエルドラド(黄金郷)がある」

と言っていました。

ところが、いざ出発というところでペドロから召還命令がきます

ペドロの罠でした

素直に命令に従ったバルボアはそこでインチキ裁判にかけられ

「反逆罪」という罪状で絞首刑となってしまい、波乱の人生の幕を閉じたのです。

後にこの黄金郷の謎はバルボアの副官だったフランシスコ・ピサロによって解明されることになります。

ペドロの命令でバルボアを逮捕した男です。

その伝説の国は現在のエクアドルからチリあたりまでを統治した南米最大の帝国「インカ帝国」のことであり、ピサロは後にこのインカ帝国を滅ぼす事になりますが、詳しくはフランシスコ・ピサロの項にて・・・・・・