バルバロッサはイタリア語で赤髭を意味する。つまり「赤髭ウルージ」というわけだ。
ウルージはイスラム国家の協力を得てのし上がった大海賊だが、元々はキリスト教徒のギリシャ人だと言われている。

エーゲ海東、トルコ沿岸の小さな島「レスボス島」の出身だが、この島は女性の同性愛者であるレズビアンの語源になった島として有名である。
ウルージは「キリスト教を裏切った海賊」という芳しくない異名をつけられてしまうが、その理由はイスラム教徒であるハフス朝のフルタンと言う権力者に近づき「キリスト教徒の船を襲う事を認めてもらう見返りとして収穫の5分の1を上納する」という契約を結んだためだ。
彼が海賊として活動を始めたころのエーゲ海はオスマントルコの勢力下で、キリスト教徒ではほとんど稼げないばかりか命の危険すらあった。
ウルージは1504年にはキリスト教トップであるローマ法王ユリウス2世の船さえ躊躇なく襲っている。
1512年にはスペイン船との戦いで銃弾を受け片腕を失ってしまったが、ウルージの勢力はその後着実に広がっていった。
ウルージは非常に頭が切れると同時に残虐さも兼ね備えた海賊だった。
彼の真骨頂は1516年にアルジェ(現在のアルジェリア)の太守サリム・アト・トゥミの反乱支援の要請を受けた際に発揮される。
このときウルージはまずアルジェを根城にしていたトルコの海賊カラ・ハサンの首を「用心のため」としてはねてしまう。
同胞のバルバリア海賊を自らの野望の為にいとも簡単に殺してしまうあたりウルージの狡猾さ残忍さがうかがい知れる。
アルジェに到着したウルージは太守サリムの大歓迎をうけた。

サリムにしてみれば援軍の到着なので当たり前なのだが、このときウルージはサリムの首をはねて殺害し、サリムの側近たちも皆殺しにすると自ら太守の地位についてしまったのだ。
おそらく用意周到に計画された事だったと思われる。
それから約1年でアルジェの大半を支配下に置き栄華を極めるが、それも長くは続かなかった。
その大胆な発想と行動力で大海賊となったウルージだったが、人の道から外れようが「実」をとる事に徹した「つけ」が最期に待っている。
1518年アルジェでウルージに対する反乱がおこり、その機に乗じた1万人を超えるスペイン軍の襲来を受けあっけない最期を迎えたのだった。