19世紀中国(香港)の海賊

香港の最大勢力だった十五仔(シャプ・ウグ・ツァイ)の傘下となり、その補佐役を勤めると同時に海賊船団の指揮官として主に英国の船を襲った。

当時の中国(清)はアヘン戦争に敗れた直後で、香港は事実上英国の支配下にあったが、アプーは香港にほど近いバイアス湾を拠点に一大勢力を築き東インド会社の貿易船を大いに悩ませた。

この地は古くから海上交通の要所でもあり海賊たちは比較的小型の外洋航海用のジャンク船を武装して使用していた。

songjunk
中国のジャンク船

帆の形が四角で丸い船体。

欧州人からは原始的にさえ見える異形だが、実は快速で耐波性も高い強力な船だった。

アプーはこのジャンク船を武装用に改造し、船団を組んで欧州の商船を襲撃しまくったのだ。

このジャンク船団に襲われた商船は、当初はなす術が無かったが、イギリスが蒸気で作動する軍艦をこの地域に持ち込むことで形成は一気に逆転する。

1849年イギリスは海賊討伐を決意し十五仔や徐亞保らに賞金をかけると同時に掃討作戦を開始した。

10月1日アプーの本拠地バイアス湾でダルリンブル・ヘイを指揮官とするイギリス海軍は圧倒的な火力を駆使してアプーのジャンク船団を壊滅させ、400人以上の海賊を殺した。

82f4db5634deaae1ca0a7a79f86669ab
バイアス湾の戦い

無敵を誇ったアプーのジャンク船団も蒸気船の攻撃力と機動力の前にはなす術が無かった。

ここまでの表面上だけの流れを見ると

イギリス軍が東インド会社の船の安全を確保するために悪虐な海賊を討伐した

と言うように見えるが、実はそんな簡単な話ではない。

現地の中国人から見れば、地元住民を力で制圧し、多様な物資を欧州に持ち帰り、おまけに大量の阿片(アヘン)を運び入れる東インド会社こそ海賊であって、アプーら海賊は欧州に対してゲリラ戦を展開していたようにも見える。

だからと言ってアプーら海賊が被害者かと言えばそんなことは無い。

chui_apoo
チュイ・アプー

彼らは彼らで中国産の芥子(ケシ)を栽培し欧州から持ち込まれるアヘンより安く精製して売りさばくことで莫大な利益も得ている。

つまりどちらが正義でどちらが悪か?などという考えに正解は無く、第三者が見れば「世界規模の海賊(イギリス)が地域の海賊(アプー)を力で圧倒した」に過ぎないように見える。

1849年10月1日のバイアス湾の戦いによってアプー自身は負傷はしながらも逃亡に成功したが、密告によって捕らえられ投獄された。

そして裁判によって当時英国の流刑地であったヴァン ・ ディーメン(現在のタスマニア)への追放が決まったが、刑が執行される前に自殺した。

<関連記事>

スクラッチメン・アプー