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アメリゴ・ベスプッチ

アメリカと言う呼び名の基になった人物です。

近年までアメリゴは歴史上あまり評価されていませんでした。

アメリカ大陸を発見したのはコロンブスであり、アメリゴは後の世の人に

「他人の功績を盗んで自分の名前を付けた」

などとまるで盗人のような言われ方をする事さえあったのです。

「マスコミを上手く使う要領の良い男」とか「もともと商人だから抜け目がない」

などともよく言われていたようです。

しかし実際はドイツの地理学者マルティン・ワルトゼーミュラーが1507年『世界誌序説』を出版した際に、アメリゴ・ベスプッチのラテン名(アメリクス・ウェスプキゥス)にちなんで「アメリカ」としたのであってアメリゴが自分で「アメリカ大陸」などと命名したわけではありません。

この本の発表段階ではアメリカ=南アメリカ大陸だったのですが「メルカトル図法」で有名な地図製作者メルカトルが、北米にもアメリカと言う名を使用し、南北両大陸の名前になりました。

この命名にもアメリゴ自身は関与していません。

このように当時の権威ある学者や技術者たちの執筆によって「アメリカ」が一般にまで定着してしまったのであって、アメリゴがコロンブスの功績を盗んだというのは、どう考えても言い過ぎのように思います。

なぜドイツの高名な地理学者がアメリゴの名前を使ったのか?ですが

簡単に言ってしまえばワルトゼーミュラーがアメリゴの記した書簡に感銘を受けたからに他なりません。

アメリゴの科学的・合理的な考え方に共感したのです。

アメリゴの書簡は徹底した実証から成り立っていました。

アメリゴは1497年.1499年.1501年.1503年の4度(1497年を除く3度とも言われる)の新世界航海をしており、

北米の東海岸沿いを南に向かい、地理や現地に住む人達の風俗習慣を観察しながら、マゼラン海峡の少し手前まで航海しました。

そして合理的な推論から導き出した結論が

「これはアジア・ヨーロッパ・アフリカに次ぐ第4の大陸だ」

だったのです。

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ホンジュラスにて

そしてその事を記した書簡が1504年小冊子の「新世界」「4回の航海」として世に出回ったのです。

ちなみに、これらはアメリゴが発刊したわけではなく当時のマスコミがアメリゴの書簡を編纂したに過ぎません。

その内容は衝撃的で、当時の人達がインドの一部と思っていた地域が、実は未知の新大陸だと書かれていました。

たちまちのうちに大ベストセラーとなります。

ただ、書かれている事が完全に世間に受け入れられたわけではなく「正確な記録だ!」と認められるにはまだ相当の時間が必要で、完全に「アメリカ大陸」と認知されるのは200年近く後の話になってしまいます。

あの時代の人々は「この世界は3つ(ヨーロッパ・アジア・アフリカ)の地域からなる」

というプトレマイオスの地図が常識であり、それを前提に地理学は成り立っていましたので、

コロンブスがせっかく4つ目の新大陸を発見したにもかかわらず、そういう発想には至らず

「この3つのうちのどこに位置するのか?」

としか考えられなかったのです。

その常識を自らの検証によって打破し「新大陸である」と全く新しい発想をしたアメリゴの凄さは認めるべきです。

アメリゴはコロンブスの偉業を横取りするどころか、コロンブス自身は「アジア到達」と思っていた事を「単なる到達などではなく歴史的大発見」と訂正してくれたのです。

ちなみに、アメリゴとコロンブスの当人同士には何の確執も無く、関係はすこぶる良好で、コロンブスにとってアメリゴは晩年まで親しい友人でもあり支援者だったところを見ても、アメリゴが功績の横取りを画策したとは考え辛いと思います。

様々な歴史文献の中には

「アメリゴは1491年に新大陸に到達したと虚偽の発表をした(コロンブスより1年早い)」

とする物もありますが、これもどうやら間違いのようです。

もしコロンブス存命中に「アメリゴの方が1年早かった」などと風聞が広がったらコロンブス自身が黙って無いはずで、両者の関係が良好だった事にも無理が生じます。

したがって「アメリゴの方が1年早かった!」などという風聞が広まったのはコロンブス没後(1506年以後)と考える方が自然ですが、

アメリゴの「新世界」「4回の航海」が発表されたのはコロンブスが亡くなる2年前の1504年が最初であり、この中でアメリゴ自身ははっきり「コロンブスが発見した土地」である事を示唆しています。

つまり周りが(特に当時のマスコミ)が煽ったり、興味本位の憶測でだけで話が独り歩きしただけで、アメリゴ自身はそのような虚偽に関して全く関わってはいないのです。

あまりの大ベストセラーゆえ度重なる重版がなされ、その都度微妙に脚色された事も誤解を生んだ原因ですが、それもアメリゴ本人に全く過失はありません。

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アメリゴの像

アメリゴとコロンブス、どちらの功績が上か下か?などと比べること自体ナンセンスだとは思いますが、学者達にとってはそれが全てであり、生きている証しでもありますので仕方がないのかもしれません。

「両者それぞれの功績はそれぞれに讃えられるべきで、それで良いじゃないか」

と考えるのは間違いなのでしょうか・・・

アメリゴ・ベスプッチは1512年58歳の時にマラリアにかかりスペインのセビリアで亡くなりました。