複式簿記の歴史

複式簿記は、人類最高の発明の一つと言われていますが、意外にも大航海時代頃からヨーロッパに普及して現代に至っています。この記事では複式簿記の歴史について分かりやすく説明します。

1. 会計の父ルカ・パチョーリとスムマ

複式簿記は、14世紀のルネサンス期にヴェネツィア商人の中で使用されるようになりました。また、15世紀末、ローマ数字に代わりアラビア数字が普及したことで、より簡単に複式簿記による帳簿が作成できるようになりました。そして、イタリア人数学者ルカ・パチョーリが、1494年に著書「スムマ」で複式簿記を紹介したことにより、ヨーロッパ中に複式簿記が広まりました。この功績によりルカ・パチョーリは、「会計の父」と呼ばれています。ルカ・パチョーリは、1496年ミラノのスフォルツァ城で「モナ・リザ」や「最後の晩餐」を描いたことで有名なレオナルド・ダ・ヴィンチにも会っています。

2. 大航海時代

ルカ・パチョーリが「スムマ」を発刊した頃、ヨーロッパは、いわゆる「大航海時代」の幕開けとなります。「ヴァスコ・ダ・ガマ」「クリストファー・コロンブス」「フィルディナンド・マゼラン」などの探検家が、ポルトガル国王やスペイン国王の支援を受けて航路の開拓に乗り出します。
ヴァスコ・ダ・ガマは、1478年ポルトガル国王マヌエル1世の支援を受けて首都リスボンから出航し、アフリカ大陸最南端の喜望峰を経てインドのカリカットに到達しました。
コロンブスは、1486年スペイン国王フェルナンド5世の支援を受けてサンタ・マリア号に乗船のうえ、大西洋経由でインドに向けて出港して1492年にアメリカ大陸の西インド諸島サン・サルバドル島に到達しました。コロンブス自身は誤ってインドに到達したと考えたようですが、これを契機にヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化が始まります。サン・サルバドル島は、その後(1680年頃)イギリスの海賊ジョン・ワトリングの本拠地となっています。
マゼランは、1519年スペイン国王の支援を受けてスペインを出航し、1520年南アメリカ大陸最南端のマゼラン海峡を経由して、1521年にフィリピンに到達しました。マゼラン自身はフィリピンで殺害されてしまいますが、船団の指揮を継承したファン・セバスティアン・エルカーノが、1522年にスペインへの帰還に成功して地球が球体であることが立証されました。

3. オランダ東インド会社と二大複式簿記書

その後、16世紀から17世紀におけるオランダの発展期において、1602年世界初の株式会社である「オランダ東インド会社」が首都アムステルダムで設立され、その支店である商館は日本の長崎県平戸市にも設置されました。
オランダの商業の発展に伴い、二大複式簿記書「新しい手引き(ジャン・イムピン著・1543年発刊)」と「数学の伝統(シモン・ステヴィン著・1605年発刊)」」が発刊されました。複式簿記の専門用語になりますが、「新しい手引き」には、決算日の在庫を翌期に繰り越す「期間損益計算」が掲載されており、「数学の伝統」には年度ごとに損益を比較する「年次期間損益計算」が掲載されています。

4. 大英帝国と公認会計士

ゲーム「大航海時代オンライン」の職業に「会計士」がありますが、正式名称は「公認会計士(Certified Public Accountant)と言います。
現在の世界各国の公認会計士制度は、産業革命期のイギリス(大英帝国)において、機械設備の減価償却など、それまでの複式簿記には存在しなかった概念が登場することにより、複式簿記の需要が高まった結果、1854年にスコットランドのエディンバラ会計士協会がイギリス国王より勅許を受けて世界最初の勅許会計士(Charterd Accontant)制度が確立したことにより始まりました。

5. 複式簿記と日本

複式簿記は、日本では1873年(明治6年)に福澤諭吉がアメリカのテキスト「Bryant and Stratton’s Common School Bookkeeping」を翻訳して「帳合之法(ちょうあいのほう)」という書籍を出版したことにより普及しました。日本の公認会計士制度は、1948年に公認会計士法が成立して現在に至ります。公認会計士になるためには、複式簿記の勉強が欠かせません。複式簿記の基礎を無料で勉強するならWebサイト「日商簿記3級独学教室」を是非ご覧下さい。